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継続は力なり。

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 4月12日(水)04時02分59秒
     溝緑ひろし写真展ご案内

私はこれまで、キルギス、アメリカ、ドイツで写真による文化交流を
行ってきました。ドイツの写真クラブとは、毎年作品展を続けています。
今年5月、はじめてロシアで写裏展を開催することになりました。
会場はサンクトペテルブルグの国立文学館(プーシキンドーム)です。
ここでは日本文学が研究されていることから、展示写真は文学作品を
テーマにしたものとしました。それに先立ち、溝縁ひろしの花街「はんなり伝統美」
、源氏物語「宇治十帖」と、ゆかいな写真仲間たちの「日本文学を擺る」を展示し
たいと思います。なお、作品はロシアでの写真展終了後、プーシキンドームに寄贈し、
永久保存されることが決まりました。たくさんの方のご来場をお待ちしております。

日時:2017年4/13(木)~4/25(火)  [4/19 (水)休館]

場所   ギャラリー古都 11:00~19:00(最柊日15:00まで)
   京郁市中京区河原町蛸薬師東側塲塩屋町327
   三條サクラヤビル6階
 
 

「歌で広げよう 心の輪」

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 3月24日(金)09時48分26秒
      KGA(京都ゴールデンエイジ)合唱の集い

      「歌で広げよう 心の輪」

2017年4月1日 開場 13,00開演  13;30

京都コンサートホール 大ホール


プログラム 司会:奥田 ユミ子

1 コーラス・ピコット     1。 たんぽぽ 2。お祭りマンボ

2 ドリームコーラス わかば
        1。「ヨコハマ・ストーリー」2。赤い靴~ブルーライト・ヨコハマ

3 コーラス同好会 早蕨      1。「ね」   2.生きる

4 下京シルバーコーラス 「コール、ほほえみ」
                            1.夢の世界を 2。ボギー大佐 3.一つの明かりで

5  ドリーム混声コーラス     1。桜の栞      2。群青

6 女声合唱団ひかりとともに     1.うぐいす  2.ほんとにきれい  3.夕顔
                                  4.月の角笛    5.つらら

7 ラコラールデュボアジョリ       1 . Stand Alone     2。花は咲く

               休憩
8 洛西如月会  1,いのちの歌   2.変わらないもの
9 すこやか山科コーラス「椿の会なでしこ」
      1,春風 2,春の小川 3,風になりたい
10 コール、エスポワール 1、私の回転木馬 2,ひとつの朝
11 コーラル、オー、トワ、ラブィ
12 コール、ウイズ、ユー   1、真っ赤な太陽   2,お祭りマンボ
13 コーラスサークル「フミ」
                1,アニーローリー 2,ルック、アット 3ワールドー


 

「京都を書く 京都で」

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 3月 1日(水)08時45分26秒
    京都新聞 201 7年(平成29年)3月1日 水曜日

   「京都を書く 京都で」

京都に生まれ育ち、今年で40年になる私にとって、この町は長い間、ただの生活の場に過ぎなかった。三方を取り巻く山々や鴨川の風景、そこここの社寺で行われる祭礼、茶湯・能楽・華道などの数々の文化--長い歴史に裏付けされたそれらは、常にすぐ目の前にある「日常」であった。そんな私の日常が世間一般の日常ではないと知ったのは、つい10年ほど前。仕事で東京を始めとする各地に行くようになってからだ。世界遺産に登録されている社寺はもちろんのこと、ちょつとした街角の神社、何気ない路地にも何百年という歴史が秘められている町。しかもそこに今なお人が住み、その歴史・文化を当たり前のものとして享受している場。

そんな「日常」がそうそうあちこちにあるものではないと知ったとき、私は強い衝撃を受けた。自らの暮らす京都の素晴らしさをそれまで正しく理解していなかったことに、申し訳ないとすら思った。

最近、小説家仲間と話をしていると、「いいなあ、私も京都に仕事場を持とうかなあ」という声をよく間く。実際、月に何日、と囗を決めて、京都滞在をしている方もおいでだ。それは京都という町に溶け込んだ歴史と文化を、肌で感じようとなさってのこと。しかし正直に告白すると私には、いさか遠いものに感じる。京都の学校に通う生徒が、修学旅行で京都に来る他府県の生徒の思いがわからないように、私もまたあまりに京都に親しみ過ぎているが故に、仲間たちの興奮が頭でしか理解できないのだ。

では一度、京都以外の町に住み、外からこの町を眺めて見れば、なにか新しい発見があるだろうか。そう思って地図を開き、色々な町について調べてみたが、どうしても「この町に行きたい!」という衝動が湧いてこない。思えば平安朝の文学作品から始まり、この千二百年余り、京都は数々の文学作品を生み出す土壌だった。ならば今、多くの作家が京都に集まり、この地から刺激を受けようとしているのも、そんな歴史の一環。いわば小説家が京都に引きつけられるのそんなわけで、私はきっと、「知らない町に行きたい」という漂泊への憧れを胸の片隅に抱きつつも、結局これからも京都に居続けるのだろう。そして京都で文学に携わる一人として、この地に集まる仲間たちとともに、この町を--そして京都に代表される日本そのものを書いていくのに違いない。 そう、私はこれからも京都を書く、京都で書く。きっと、この地に生まれ育った私に出来る、最大の京都への恩返しなのだから。

 澤田瞳子 小説家

1977年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院博士前期課程修了。2011年、初の小説「孤鷹の天」で中山義秀文学賞を最年少受賞。13年「満つる月の如し」で新田次郎文学賞受賞、15年「若冲」で直木賞候補、16年同作で親鸞賞受賞。
 

「 尹東柱生誕100年回顧の催し」 献花式、出版、映画上映

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 2月15日(水)09時13分52秒
       朝日新聞 2017年(平成29年)  2月15日 水曜日

  「 尹東柱生誕100年回顧の催し」  献花式、出版、映画上映

 朝鮮半島を日本が植民地支配していた時代、治安維持法違反の疑いで逮捕され、
  27歳の若さで獄死した詩人尹東柱(1917-45)。尹が留学した上京区の同志社大で11日、献花式が開かれた。今年は生誕100年にあたり、尹に関する本の出版、映画上映など多彩な動きがある。尹は旧満州(中国東北部)生まれ。現在の韓国・延世大を卒業後、42年に日本に留学。立教大(東京)と同志社大で学んだ。日本語が強要された時代に(ハングルで詩をつづり、民族の言葉を守ろうとした尹は日本からの独立運動に関わったと嫌疑をかけられた。同志社大在学中の43年に逮捕され、懲役2年の判決。

45年2月16日、福岡刑務所で獄死した。11日の献花式では、同志社大今出川キャンパスにある尹の詩碑の前で参加者が尹の代表的な詩「序詩」を朗読し、碑に花をささげた。
この後、参加者は韓国・ソウルの尹東柱文学館が制作した、尹の生涯を紹介する映画を鑑賞したり、交流会を開いたりした。

参加者の一人、作家で元NHKディレクターの多胡吉郎さんは尹の没後50年だった95年、「NHKスペシャル」で尹に関する特集を韓国放送公社(KBS)と共同で制作し、放映。「韓国の国民的詩人の尹東柱を知る人は日本でまだ少なく、視聴率もその年のNHKスペシャルで下から2番目だった」しかしその後、日本でも尹の人気は高まり、多くの人がその詩に親しむようになった。多胡さんは今月「生命の詩人・尹東柱」(影書房)を出版。「朝鮮の民族文化が抹殺されようとし、何もかもが滅亡に向かうかのごとき暗黒の時代
にあって、すべての死にゆるもの、生きとし生けるものへの愛を、尹東柱は自分に与えられた使命としたのだった」と杳いている。

献皿式を主催した「尹東柱をぶ会」の朴煕均会長は「尹東柱が韓国でも日本でも多くの人々から慕われていることは、その詩や人柄の魅力の表れ。尹を通して東アジアの友好が深まれぱうれしい」と話す。今夏には尹の生涯を描いた韓国映画「空と風と星の詩人」が東京、大阪などで上映される予定だ。

18日には宇治市の日本基督教団宇治教会で「詩人尹東柱の思いを今につなぐつどい」が開かれる。多胡さんの講演や安斎育郎・立命館大名誉教授の報告がある。
問い合わせは主催者事務局(0774・24・7094)。(大村治郎)
 
 

コーラスで練習している歌です。」

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 2月 9日(木)15時55分46秒
   ほらね、 「歌おうNIPPON ]プロジェクト
      作詞 いとうけいし 作曲 まつしたこう

Bass

  A  かわは かぜとかたりあっているょ   とり
      は はなとー ふれあっているょー   じゃ
      れあっているょ あめはかえるとーうなずきあっているょ

B  ほらね ひとりじゃないー     C きっとね だれも
      ひとりじゃない ひとりじゃない  かなしいひがあったら
      なみだがとまらないひがあったら あったら

D  (ゆっくりそっとうたおう)    おもいでつまった
      あのうたを うたは あなたのたいせつなともだち いつ
      もそばにいるー たいせつなともだちだからー

E かなしいひがあったら なみだがとまらないひがあった
  らあったら

F おもいでつまった あのうたを うたは あなたのたい
    せつなともだち いつもそばにいるーたいせつなともだちだからー ー
 

第17回 歩人21写真展 

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 1月26日(木)14時01分11秒
                 第17回 歩人21写真展

 日時 平成29年 2月1日(水)~2月7日(火)
    午前11時~午後7時 (最終日は午後4時まで)
 会場  ぎゃらりい西利(祇園店 3階


 三人展 A面     横谷 幸子・作品コーナー「四季、祭り、川」
     B面       佐藤 雅子・作品コーナー「鳥取から但馬を旅する」
     C面       西ロサキ子・作品コーナー「お雛様」

  会員コーナー 青木耕之助 大西宗雄 奥山陽子 加藤恭孝 紺谷太穴
        斎藤昭一    酒井 均  桜井弘子 佐藤詔征 杉本孝之
        月安健氏     二神栄一  山田登造

          指導 賛助出品 溝縁ひろし先生(JPS会貝)
 

「金樽イワシ」再び

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 1月16日(月)09時33分17秒
     朝日新聞 2017年(平成29年)1月16日 月曜日

 「金樽イワシ」再び

日本三景のひとつ、天橋立てで仕切られた内海・阿蘇海、阿蘇海。ここでかつて「伝説のイワシ」が取れた。昔々、丹後の殿様が 船上で酒盛りをしていたところ、酒の入った金造りの酒たるを海に落としてしまった。拾い上げようと網を打つと、金色に輝くイワシが大漁。このイワシを食べてみると、脂が乘っておいしいこと、おいしいこと。「金樽イワシ」と呼ぱれて珍重された。

野田川が注ぐ阿蘇海はプランクトンが豊富だ。府海洋センターの1983年の調査では、プランクトンなどの水中浮遊生物量は宮津湾の10~100倍。栄養豊な育ったマイワシは丸々と太り、体色も少し黄色がかって、文字どおり金の樽のようだという。

1958年、宮津市小田宿野で竹中缶詰の本社工場が操業を始めた当初、「金樽いわしの油漬け」は人気商品だった。だが、その後60~70年代にかけて金樽イワシはほとんど取れなくなってしまった。金樽イワシに限らず、近年、マイワシの漁獲量は激減している。

府漁業協同組合によると、府内のマイワシの出荷量は、1989年に約4万7300トンあったのが、2013年には約640トン、14年には約80トンに。15年は約270トンとやや持ち直したが、予断を許さない状況だ。府農林水産技術センター海洋センターの上野陽一郎主任研究員は「イワシは数十年周期で増減を繰り返す魚。資源は回復してくるだろうが、京都の落ち込みは全国的にも激しい」と心配する。「金樽イワシが取れたから、見においで」。2013年、晩秋。阿蘇海で操業する  宮津市溝尻地区の漁師から、竹中缶詰の竹中史朗会長(82)に連絡があった。

港に駆けつけると、丸々と太った金樽イワシが網から外され、並べられているところだった。5キロほどもらって帰った会長は、「金樽いわしの油漬け」を50年ぶりに20缶ほどつくった。

販売できるほどの数はできなかったので、イワシをくれた漁師やお世話になった人たちに配った。残りは「社の宝」として大切に保管している。金樽イワシは社の宝であり、宮津の宝であり、地球の宝。海産資源回復のバロメーターでもあると思う。「それは立派なオイルサーディンになる。夢の金樽イワシの復活、わしの生きとる間にできるかなあ」。限りある海の恵みに感謝し、食卓に笑顔を。竹中会長の夢は続く。   (寺脇毅)










 

絵文字

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 1月 8日(日)09時36分9秒
編集済
    2017年(平成29年)1月8日 日曜日    今週の英語News 京都新聞

  絵文字

日本で生まれた絵文字は、いまや英語で 「emo」i」とよぱれるほどに。現代
 アートで有名なニユヨーク美術館(MoMA)が、「美術作品」としてコレクション
に加え、NTTドコモがメッセジのよりとりで使い始めた太陽や傘、ハートなどの
シンプルな絵文字を展示しています。美術館は絵文字について「あたかさのない
コンピユーターを使ったやりとりに、人間らしさをとりもどそうとした」と高く
評価。展示を見にきた会社員のミランダさんは「絵文字はメールの中で言葉を
使わずに考えや感情を伝えられる。まさにアートだ」と目をかがせていた。展示は
2017年3月12日まで。

A set of 176 emoji are beinng shown at the Mueseum of Modern Art in New York .
The chracters for text messages were first. used in Japan in 1999 and spread across in
the world.
 

 全国大学選手権 「同大防御で勝機を」

 投稿者:健康です。  投稿日:2016年12月29日(木)09時30分23秒
     2016年(平成28年)12月29日 木曜日     京都新聞
                                                   ・
  全国大学選手権 「同大防御で勝機を」

 11季ぶりの4強入りを果たした同大(関西2位)が1月2日、東京・秩父宮ラグビー場で東海大(関東リーグ戦1位)との準決勝に挑む。勝てば1987年度以来29季ぶりの決勝進出となる。日本代表経験者を5人擁する相手は強力だが、長い伝統と関西勢の意地を見せたい。キックオフは午後0時20分。関東勢の中でもフィジカルの強さで突出する東海大の攻撃を耐えなければ勝機はない。タックルで確実に倒し、ボールを争奪する
「ブレークダウン」では反応の速さで相手ボールにしつこく絡み、攻撃をスローダウン
させることが求められる。

スクラムでは苦しい展開が予想され、ノックオンなどミスに伴って組む回数はできるだけ少なくしたい。準々決勝の早大戦では後半に大きく崩れて大量失点につながった。FWの気迫と踏ん張りが勝敗に直結しそうだ。相手陣で安定してボールを確保できれば、スピ
ードと展開力のあるバックス攻撃に期待が持てる。早大戦では石田(4年、同志社)ら両CTBとバックスリー全員がトライを挙げ、得点能力の高さを証明した。バックスで
複数ポジションをかなす東海大のモエアキオラ(2年、目黒学院)の突破は人数をかけて
でも止め、流れを断ち切る。


 

「旧宮津城かいわい」

 投稿者:健康です。  投稿日:2016年12月10日(土)09時27分39秒
    朝日新聞 2016年(平成28年)12月10日 土曜日

 「旧宮津城かいわい」

戦国時代は宮津城が築かれ、丹後地方の拠点だった宮津市。江戸時代に入ると、
北前船の寄港地としても繁栄を謳歌した。観光地としては郊外の天橋立があまりにも
有名だが、実は街なかにも見どころは多い。今は静かで人影もまばらとなった街で、
繁栄した時代の名残を探した。

 宮津城は、その優美な姿から鶴賀城とも呼ばれた。宮津市の魅力再発見イベント
「みやさんぼ」でガイドを務める増田精一さん(67)に案内してもらいながら歩いた。
 細川幽斎(藤孝)が1580年、大手川の右岸に築いた宮津城。1600年に豊臣方に攻めら れた際、幽斎自ら火を放ち焼き払った。その後に宮津に入った京極高広が再建。
 1871年の廃藩置県を受けて取り壊されるまで、御殿を配した本丸から三の丸まで擁す
 る平城があった。阪神甲子園球場ができた甲子の1924年、舞鶴-宮津間に鉄道が開通。
 これに合わせて、宮津駅から旧城内を東西にし大手橋に至る大通りが造られた。

 甲子道と名付けられた。駅から西へ進むと、商店のほか税務署や郵便局などが立ち並ぶ。
 城の名残はほとんど見られず、宮津武田病院裏の石垣や、細川氏に謀殺された元丹後守
 護職の一色氏を鎮護する一色稲荷神社が残る程度だ。大手橋に着いた増田さんが「大手
 川を外堀として、東側に城がありました。と説明してくれた。大手川左岸を南下し、かって重心の武家屋敷が並んでいた柳縄手地区へ。住宅地を進むと、白壁の長屋門があった。引き戸を開けてくぐってみる。「竹をわらで編んでいますね。細かい作業です」と、増田さんが屋根裏を指さした。いい仕事だ。武家屋敷の威容を垣間見た気がした。

道の反対側には、カトリック宮津教会が白い優美な姿を日の光に輝かせている。フランス人宣教師のルラープ神父が1896年に建てた天主堂は、今でもミサが捧げられている日本最古級の教会だ。木造の御堂は船大工の作と伝わ作と伝わる。船の竜骨を造る技法を用いたのか、 ロマネスク様式の優美なアーチが並ぶドーム式の天井が美しい。仏教寺院のような畳敷きの和洋折衷の堂内。フランスから取り寄せた、深い色合いのステンドグラスには日本風の小菊文様が入っているという。凝った造りが、かつての宮津の繁栄をしのぱせる。敷地内に、子どもたちに食べさせようとルラーブ神父が植えたと伝わるクルミの古木がある。温かい人柄の神父だからこそ、宮津の人に受け入れられたのだろう。フィリピンから来たホセ、ノレッラ神父(33)は「人々の祈りに支えられた宮津の宝です」と胸を張った。

柳縄手には、戦後モダニズム建築の傑作がある。1962年に完成した宮津市庁舎だ。コンクリート打ちっ放しの宙に浮いたような造形で、建物の下は広い空間。日本建築界の大御所丹下健三門下で京丹後市峰山町出身の建築家、沖種郎が設計した。議会の庁舎建設委員会で委員が「山陰の人間はミミッチイと言われるが、斬新なデザインでいきましょう」と提案したとの逸話が残る。4階建ての庁舎は、大手川に姿を映す・周辺景観と調和する都市デザインの思想を感じる。文化財保護が担当の市教育委員会の東高志係長(53)は「5年たってもすばらしい。市のランドマークです」。           一

かつての本丸付近からは今、温泉が湧いている。井上亮さん(92)が庭の池に使う水をくみ上げようと井戸を掘つたところ、地下45メートルほどの所から強い硫黄のにおいがする水が噴き出した。検査機関が「温泉」と認定。宮津節にちなみ「宮津温泉ピント湯」と名付られ、2001年から市内7軒の旅館に供給している。硫黄分を含む湯は、美肌効果があると言われる。18世紀の享保年間から続く旅館、茶六本館でお湯をいただく。透明でやさしい湯に肩までつかると、おもわず「ほう」と声が出た。 (寺脇穀)
 

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