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継続は力なり。

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 8月 7日(月)13時37分2秒
  7月26日 奈良市の興福寺に、NHK文化センター京都教室の写真クラブのメンバーと

撮影に行きました。
 
 

健康と大学時代の友人の3人で、嵯峨野を散策して、祇王寺にも行きました。

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 7月 8日(土)12時57分26秒
  健康と大学時代の友人の3人で、嵯峨野を散策して、祇王寺にも行きました。

 祇王寺

祇王寺は竹林と楓に囲まれたつつましやかな草庵で「平家物語」にも登場し、
平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心代わりにより都をを追われるように
去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られております。

祇王寺は昔の往生院の境内にあり、往生院は法然上人の門弟良鎮によって創建された
と伝わっています。山上山下にわたって広い寺域をせめていた往生院も後年は荒廃し
、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになりました。

祇王寺墓地の入口にある碑には「祇王祇女佛刀自の旧跡 昭和8年辛卯正当六百年忌
往生院現住尼 法専建之」とあって、この碑の右側に「性如禅尼承安二(1172)
年壬辰八月十五日寂」と刻まれているのは祇王のことと思われます。

祇王寺は明治初年に廃寺となりましたが、残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって
保管されました。大覚寺門跡の楠玉諦師はこれを惜しみ、再建を計画していた時に、元京都府知事北垣国道氏が祇王の話を聞き、明治28年に嵯峨にあった別荘一棟を寄付されました。これが現在の祇王寺の建物です。これらの関係から祇王寺は真言宗大覚寺派の寺院で、旧嵯峨御所大覚寺の塔頭寺院ともなっています。 」

仏間には、本尊大日如来、清盛公、祇王、祇女、母刀自、佛御前の木像が安置されて
います。祇王、祇女の像は鎌倉末期の作で、作者は不詳ですが眼が水晶(玉眼)で鎌倉時代の特徴をよく表しています。
 

ドリームコーラスで月曜日に練習している 曲です。

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 6月27日(火)15時52分27秒
      ほらね、 作詞 いとうけいし  作曲 まつしたこう

かわは かぜと かたりあっているよ
とりは はなとふれあっているよ
ひざしは きのはと じゃれあっているよ
あめは かえるとうなずき  あっているよ

ほらね きっとね ぼくらは ひとりじゃない
きっとね だれも ひとりじゃない  ひとりじゃない

それでも かなしいひがあったら なみだがとまらないひが
あったらー あったらー

ゆっくり そっとうたをうたおう  おもいでつまったあのうたを
うたはあなたのたいせつな  ともだちだから

いつもそばにいる たいせつな ともだちだから
 

本願寺の由来や歴史、親鸞聖人のご生涯につぃて

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 5月31日(水)13時56分59秒
     本願寺の由来や歴史、親鸞聖人のご生涯につぃて

本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山です。正式には龍谷山本願寺といい、
一般には西本願寺とも呼ばれています。浄土真宗は、鎌倉時代の中頃に
親鸞聖人(1173-1263)によって開かれました。親鷽聖人は1173 (承安3)年
に京都日野の里でお生まれになり、9歳で青蓮院にて出家得度されました。

その後、比叡山で学問修行に励まれましたが、29歳の畤、師である源空(法然)
聖人のお導きによって阿弥陀如来の本願を信じ「南無阿弥陀仏」という念仏の
教えに帰依する身となられました。

35歳の畤、念仏弾圧により越後に流罪となった後、妻の恵信尼さまと共に関東に
移って念仏の教えを弘められ、晩年は京都で「教行信証」等多くの著述に力を注れ、
1263年1月16日(弘長2年11月28日)に90歳で往生されました。

親鸞聖人の滅後、娘の覚信尼さまは、聖人の遺弟たちと共に京都東山大谷に廟堂を
建て、聖人の遺骨と影像を安置しました。やがてこの廟堂が本願寺となり、宗門の礎
となりました。その後、中興の祖である第8代宗主蓮如上人(1415-1499)の時には教線
が拡人され、さらに第11代宗主顕如上人(1543-1592)の時には、本願寺の寺基が現在の
京都堀川六条に定められました。

境内には、阿弥陀あり、御影堂の両堂(国宝)をはじめ、唐門や書院、飛雲閣などの国宝や、
経蔵や手水舎などの重要文化財があり、1994 (平成6)年12月には「古都京都の文化財」と
して、「世界迫産」に登録されています。




 

今 練習している 曲です。

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 5月31日(水)05時47分11秒
   ドリームコーラスで月曜日に練習している 曲です。

  虹を渡って 山崎朋子 作詞

雨が やんだ 空の果て
大きな 虹が かかってる
その向こう側に 見えるのは まぶしいくらいの太陽

僕は 傘を たたんで
空を 見上げ 歩いていく
今 心の中に 降る雨も 明日には やむだろう

涙は いつか 笑顔にかわる
笑顔はまだ 涙を呼ぶ
人はそうして 生きていくんだ 出会いと別れ くり返して

届け 僕の思いが 遠い君のもとへ
離れても 会えなくても 夢を探す旅を続ける

そんな時の彼方に 光る未来がある
輝いてる その場所にも 虹が空に かかるだろう

心の中に あふれる想い
いつか 伝える その日まで
遠く 長い道を 進むんだ きのうと 今日を 重ねながら・・

虹が 輝いている 軌跡   えがくように
あの空まで あの雲まで    飛んでいきたい

強い 想いは 必ず かなう日がくるから
その時まで 歩き続けていく 未来を信じて

未来へ続く 七色の虹を渡ろう
 

西本願寺の檀家 名声寺の40人が、バスツアーに行きました。

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 5月30日(火)13時18分56秒
      西本願寺の檀家 名声寺の40人が、5月28日 日曜日に
    三重県の津市にある、専修寺と、帰りに、上野市の  芭蕉翁記念館や
    上野城や忍者館のど、バスツアーに行きました。

   親鸞聖人と専修寺

親鸞聖人は、関東各地を御教化中に、明星天子の夢のお告げを得て、54歳の時下野国
(栃木県)芳賀郡二宮の郷(真岡市)の地に一宇を建立し、専修念仏の根本道場とせ
られました。ご本尊には、長野の善光寺からお迎えした一光三尊仏を安置し、聖人門弟
の中のリーダーであった真仏上人が管理に当てられました。ここを中心とした教団は
関東各地の壇信徒の中でも最も有力な教団となり、京都へ帰られた聖人からは、しばしば
自筆のお手紙や、ご自分で書き写された書物などが送られて来ました。その後、高田教団
は次第に発展し、専修寺は「本寺」と呼ばれて全国から崇敬を集めるようになりました。

  芭蕉翁記念館

  伊賀市は 芭蕉翁生んだ土地です。翁の文芸が古く且つ広く人々に親しまれ、今や世界詩人として仰がれていることに大きな喜びをいだいています。したがって、翁?顕彰する
ことは、われわれ郷土人のつとめであると同時に誇りであると感じているのであります。
その事業の一つとして芭蕉翁記念館の建設が企てれれました。 この時、たまたまかねて翁を敬慕していられた故神部満之助(妹)問組社長)の篤志によってこの建物が市に寄附せらました。この地、各方面の有志の方々から多大の援助をいただき、昭和34年10
月開館のはこびにとなりました。館は展示室、文庫、茶室などがあり、文庫には翁の遺墨をはじめ古俳諧文献など学術研究の資料を保存し、展示しています。
 

継続は力なり。

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 4月12日(水)04時02分59秒
     溝緑ひろし写真展ご案内

私はこれまで、キルギス、アメリカ、ドイツで写真による文化交流を
行ってきました。ドイツの写真クラブとは、毎年作品展を続けています。
今年5月、はじめてロシアで写裏展を開催することになりました。
会場はサンクトペテルブルグの国立文学館(プーシキンドーム)です。
ここでは日本文学が研究されていることから、展示写真は文学作品を
テーマにしたものとしました。それに先立ち、溝縁ひろしの花街「はんなり伝統美」
、源氏物語「宇治十帖」と、ゆかいな写真仲間たちの「日本文学を擺る」を展示し
たいと思います。なお、作品はロシアでの写真展終了後、プーシキンドームに寄贈し、
永久保存されることが決まりました。たくさんの方のご来場をお待ちしております。

日時:2017年4/13(木)~4/25(火)  [4/19 (水)休館]

場所   ギャラリー古都 11:00~19:00(最柊日15:00まで)
   京郁市中京区河原町蛸薬師東側塲塩屋町327
   三條サクラヤビル6階
 

「歌で広げよう 心の輪」

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 3月24日(金)09時48分26秒
      KGA(京都ゴールデンエイジ)合唱の集い

      「歌で広げよう 心の輪」

2017年4月1日 開場 13,00開演  13;30

京都コンサートホール 大ホール


プログラム 司会:奥田 ユミ子

1 コーラス・ピコット     1。 たんぽぽ 2。お祭りマンボ

2 ドリームコーラス わかば
        1。「ヨコハマ・ストーリー」2。赤い靴~ブルーライト・ヨコハマ

3 コーラス同好会 早蕨      1。「ね」   2.生きる

4 下京シルバーコーラス 「コール、ほほえみ」
                            1.夢の世界を 2。ボギー大佐 3.一つの明かりで

5  ドリーム混声コーラス     1。桜の栞      2。群青

6 女声合唱団ひかりとともに     1.うぐいす  2.ほんとにきれい  3.夕顔
                                  4.月の角笛    5.つらら

7 ラコラールデュボアジョリ       1 . Stand Alone     2。花は咲く

               休憩
8 洛西如月会  1,いのちの歌   2.変わらないもの
9 すこやか山科コーラス「椿の会なでしこ」
      1,春風 2,春の小川 3,風になりたい
10 コール、エスポワール 1、私の回転木馬 2,ひとつの朝
11 コーラル、オー、トワ、ラブィ
12 コール、ウイズ、ユー   1、真っ赤な太陽   2,お祭りマンボ
13 コーラスサークル「フミ」
                1,アニーローリー 2,ルック、アット 3ワールドー


 

「京都を書く 京都で」

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 3月 1日(水)08時45分26秒
    京都新聞 201 7年(平成29年)3月1日 水曜日

   「京都を書く 京都で」

京都に生まれ育ち、今年で40年になる私にとって、この町は長い間、ただの生活の場に過ぎなかった。三方を取り巻く山々や鴨川の風景、そこここの社寺で行われる祭礼、茶湯・能楽・華道などの数々の文化--長い歴史に裏付けされたそれらは、常にすぐ目の前にある「日常」であった。そんな私の日常が世間一般の日常ではないと知ったのは、つい10年ほど前。仕事で東京を始めとする各地に行くようになってからだ。世界遺産に登録されている社寺はもちろんのこと、ちょつとした街角の神社、何気ない路地にも何百年という歴史が秘められている町。しかもそこに今なお人が住み、その歴史・文化を当たり前のものとして享受している場。

そんな「日常」がそうそうあちこちにあるものではないと知ったとき、私は強い衝撃を受けた。自らの暮らす京都の素晴らしさをそれまで正しく理解していなかったことに、申し訳ないとすら思った。

最近、小説家仲間と話をしていると、「いいなあ、私も京都に仕事場を持とうかなあ」という声をよく間く。実際、月に何日、と囗を決めて、京都滞在をしている方もおいでだ。それは京都という町に溶け込んだ歴史と文化を、肌で感じようとなさってのこと。しかし正直に告白すると私には、いさか遠いものに感じる。京都の学校に通う生徒が、修学旅行で京都に来る他府県の生徒の思いがわからないように、私もまたあまりに京都に親しみ過ぎているが故に、仲間たちの興奮が頭でしか理解できないのだ。

では一度、京都以外の町に住み、外からこの町を眺めて見れば、なにか新しい発見があるだろうか。そう思って地図を開き、色々な町について調べてみたが、どうしても「この町に行きたい!」という衝動が湧いてこない。思えば平安朝の文学作品から始まり、この千二百年余り、京都は数々の文学作品を生み出す土壌だった。ならば今、多くの作家が京都に集まり、この地から刺激を受けようとしているのも、そんな歴史の一環。いわば小説家が京都に引きつけられるのそんなわけで、私はきっと、「知らない町に行きたい」という漂泊への憧れを胸の片隅に抱きつつも、結局これからも京都に居続けるのだろう。そして京都で文学に携わる一人として、この地に集まる仲間たちとともに、この町を--そして京都に代表される日本そのものを書いていくのに違いない。 そう、私はこれからも京都を書く、京都で書く。きっと、この地に生まれ育った私に出来る、最大の京都への恩返しなのだから。

 澤田瞳子 小説家

1977年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院博士前期課程修了。2011年、初の小説「孤鷹の天」で中山義秀文学賞を最年少受賞。13年「満つる月の如し」で新田次郎文学賞受賞、15年「若冲」で直木賞候補、16年同作で親鸞賞受賞。
 

「 尹東柱生誕100年回顧の催し」 献花式、出版、映画上映

 投稿者:健康です。  投稿日:2017年 2月15日(水)09時13分52秒
       朝日新聞 2017年(平成29年)  2月15日 水曜日

  「 尹東柱生誕100年回顧の催し」  献花式、出版、映画上映

 朝鮮半島を日本が植民地支配していた時代、治安維持法違反の疑いで逮捕され、
  27歳の若さで獄死した詩人尹東柱(1917-45)。尹が留学した上京区の同志社大で11日、献花式が開かれた。今年は生誕100年にあたり、尹に関する本の出版、映画上映など多彩な動きがある。尹は旧満州(中国東北部)生まれ。現在の韓国・延世大を卒業後、42年に日本に留学。立教大(東京)と同志社大で学んだ。日本語が強要された時代に(ハングルで詩をつづり、民族の言葉を守ろうとした尹は日本からの独立運動に関わったと嫌疑をかけられた。同志社大在学中の43年に逮捕され、懲役2年の判決。

45年2月16日、福岡刑務所で獄死した。11日の献花式では、同志社大今出川キャンパスにある尹の詩碑の前で参加者が尹の代表的な詩「序詩」を朗読し、碑に花をささげた。
この後、参加者は韓国・ソウルの尹東柱文学館が制作した、尹の生涯を紹介する映画を鑑賞したり、交流会を開いたりした。

参加者の一人、作家で元NHKディレクターの多胡吉郎さんは尹の没後50年だった95年、「NHKスペシャル」で尹に関する特集を韓国放送公社(KBS)と共同で制作し、放映。「韓国の国民的詩人の尹東柱を知る人は日本でまだ少なく、視聴率もその年のNHKスペシャルで下から2番目だった」しかしその後、日本でも尹の人気は高まり、多くの人がその詩に親しむようになった。多胡さんは今月「生命の詩人・尹東柱」(影書房)を出版。「朝鮮の民族文化が抹殺されようとし、何もかもが滅亡に向かうかのごとき暗黒の時代
にあって、すべての死にゆるもの、生きとし生けるものへの愛を、尹東柱は自分に与えられた使命としたのだった」と杳いている。

献皿式を主催した「尹東柱をぶ会」の朴煕均会長は「尹東柱が韓国でも日本でも多くの人々から慕われていることは、その詩や人柄の魅力の表れ。尹を通して東アジアの友好が深まれぱうれしい」と話す。今夏には尹の生涯を描いた韓国映画「空と風と星の詩人」が東京、大阪などで上映される予定だ。

18日には宇治市の日本基督教団宇治教会で「詩人尹東柱の思いを今につなぐつどい」が開かれる。多胡さんの講演や安斎育郎・立命館大名誉教授の報告がある。
問い合わせは主催者事務局(0774・24・7094)。(大村治郎)
 
 

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